日本人のルーツとアジアのハプロタイプ(2015/04/01)

【1.Y染色体ハプロタイプについて】
人類はアフリカで揺籃期を過ごし、そこを出て数万年でユーラシア大陸、オセアニア、南北アメリカへと広がった。
ユーラシアの最東端はロシアのチュコト半島のデジネフ岬であるが、アジア大陸の東の海上に横たわる日本列島も
人類の拡散という点から見て、東の果ての地であると言ってよい。

日本には氷河期の海退(陸地に氷として水が溜まることで海水面が低下し、海岸が海の方に広がったり、島などが
陸続きになること)によって大陸から人が渡りやすくなったり、島伝いでの移動が楽になったりして色々な地域の
人々が移り住んできただろう。父親から息子にだけ伝わるY染色体にはハプロタイプと呼ばれる遺伝子の型があり、
父系のルーツを知るのに適している。
一方、母親だけから息子、娘に伝わるミトコンドリアの遺伝子は母方のルーツを辿ることができる。
ここでは、日本と日本に近い地域(中国、朝鮮半島、東南アジアなど)のY染色体のハプロタイプの割合から日本人の
遺伝的なルーツ(父系)を調べてみよう。

日本人のハプロタイプにはチベットなどに多いD系統から派生したD2、東南アジアのO2系統から派生したO2b1、
とO2b*、中国に多いO3、北方アジアに多いC系統などのハプロタイプを持つ人々が暮らしている。
次の表は、東アジアや東南アジアの各地域で各ハプロタイプを持つ人がどの程度の割合(%)でいるかを示している。
網羅していないハプロタイプもあるため、合計は100%ではない。

<表 国・地域ごとのハプロタイプの割合>
地域C1C3D1D2D3NO1O2O2b1O2b*O3
日本(2007)2.33.00.438.800.83.40.825.18.416.7
韓国(2006)09.304.002.72.72.74.033.340.0
中国華北(漢族)(2006)04.500011.406.80065.9
東南アジア3.72.64.113.817.60.60.444.7
上記出典は 日本: I. Nonaka, K. Minaguchi, and N. Takezaki, "Y-chromosomal Binary Haplogroups in the Japanese Population and their Relationship to 16 Y-STR Polymorphisms," Annals of Human Genetics (2007) 71,480?495. doi: 10.1111/j.1469-1809.2006.00343.x 韓国:Michael F. Hammer, Tatiana M. Karafet, Hwayong Park et al., "Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes." Journal of Human Genetics (2006) 51:47?58. DOI 10.1007/s10038-005-0322-0 中国華北(漢族):同上 東南アジア:Meryanne K Tumonggor, Tatiana M Karafet, Sean Downey, et al., "Isolation, contact and social behavior shaped genetic diversity in West Timor." Journal of Human Genetics (2014) 59, 494?503; doi:10.1038/jhg.2014.62 下記は上の表を円グラフにしたものだが、合計が100%になるように表示しているので表の数値とは若干異なる。 また1%以下のデータは%の表示をしていない。 【2.ハプロタイプとその分散】 このハプロタイプについて地域と地域の間でどのくらいのばらつきがあるかを調べてみよう。 部品加工や射撃の命中など精度を問題にする場合のばらつきは「標準偏差」が適しているが、地域ごとの各ハプロ タイプの割合のようなものは、そもそも違いがでるのが自然であるので、ばらつきの度合として「分散」を用いて みよう。 日本やアジアの国の人々とのハプロタイプ分布の分散を求め、レーダーチャートで表したもので、各国の人々の 近縁の程度を調べてみよう。 分散 s2は ある基準になる標本Xに対してn個の標本があり、i番目の標本の値をxiとしたとき、次式で表わされる。 s2=1/n・Σ(Xーxi)2 分散を表わす記述 s2 は文字が小さく見づらいので本HPでは、Sと記述する。 Y染色体のハプロタイプは複数あるので、上の式はそのまま使えず、ハプロタイプ毎の差分を考える必要がある。 具体的に、日本と韓国の場合で説明してみよう。<表 国・地域ごとのハプロタイプの割合>から パプロタイプC1は日本は2.3%で韓国は0%なので、 パプロタイプC1の割合の差の2乗=(0.023-0)2=0.000529 次にパプロタイプC3では日本が3.0%、韓国が9.3%なので パプロタイプC3の割合の差の2乗=(0.03ー0.093)2=0.003969 同様に、D1~O3までの各ハプロタイプの差の割合の2乗を計算して、それらを合計する。 これにより、Σ(Xーxi)2に相当する部分が計算される。 日本というハプロタイプ標本に対して、比較する韓国の標本はここでは1個だけなので、n=1となる。 従って、日本と韓国のハプロタイプ分布の分散は S=1/n・Σ(Xーxi)2=0.2872となる。 ここでは、日本(Japan)を基準として、韓国(Korea)、中国(China)、東南アジア(East Southern Asia)のハプロタイプ 分布のばらつきの程度を示す分散をSJK、SJC、SJEと表すことにする。 さて、日本を基準として、その他地域の人々のハプロタイプ分布の分散を計算すると SJK=0.2872 (日本と韓国) SJC=0.4794 (日本と中国) SJE=0.3366 (日本と東南アジア) 韓国基準でその他地域とのハプロタイプの分散は ※計算上で SKJ=SJKが成り立つので、日本とは上で計算済になる SKC=0.1935(=韓国と中国) SKE=0.1517(=韓国と東南アジア) 中国とその他地域(日本、韓国とは上で計算済みのため除く)とのハプロタイプの分散は SCE=0.0818 (中国と東南アジア) レーダーチャートで表すと次のようになる。 レーダーチャートの中心に近いほど、ハプロタイプの分散 S の値は小さく、近縁な集団を表わす。 分散の値から、近縁関係の強い順に並べると 1.中国-東南アジア(SCE=0.0818) 2.韓国-東南アジア(SKE=0.1517) 3.韓国-中国(SKC=0.1935) 4.日本-韓国(SJK=0.2872) 5.日本-東南アジア(SJE=0.3366) 6.日本-中国(SJC=0.4794) 中国と東南アジア(China-ES Asia)は S は0.1以下で最も近縁である。次に韓国と東南アジア、韓国と中国が Sは0.2以下で近縁であり、韓国、中国、東南アジアの人たちは互いに近縁であることが分かる。 一方、日本と韓国はSは0.2872、、日本と東南アジアはS=0.3366 で乖離は大きい。さらに日本と中国では Sは0.5付近に達している。中国、東南アジア、韓国の人々と日本の人々ではハプロタイプの分布はかなり 異なっていることが分かる。 【3.我々は何者でどこから来たのか】 日本人のハプロタイプの分布が他の集団から大きく乖離している主な原因は次の2点と考えられる。 ・他の集団にほとんどいないD2系統が40%近く存在する ・O3系統の人たちが、他の地域に比べて比較的少ない(16.7%) その他のハプロタイプも含めて、日本人のルーツにどのように関与したのか見てみよう。 日本では4割で最多数を占めるハプロタイプD2の人々は古モンゴロイドと呼ばれる人々に属している。 黄色人種と白色人種の共通祖先から早期に枝分かれして出現した人々であり、いち早くアジアや オセアニア方面まで到達して当初は広い範囲に分布した。日本にもいち早く到達していたものと 考えられる。このハプロタイプD2を持つ人は中国、東南アジア、韓国にはほとんどいない。 次に東南アジアのO2系統から派生したハプロタイプO2b1、O2b*がある。このハプロタイプは東南アジア にはわずかに見られるが、中国には存在しない。東南アジアにO2b1、O2b*はわずかながら存在することは 何を意味しているのだろうか? 筆者の考えは、東南アジアのO2系統からO2b1、O2b*の2つのハプロタイプを持つ集団が分枝した後で、 O2b1、O2b*を中心とする人々はその一部を除いて、ほとんどが北方に移動していったと想定する。 日本では O2b1:O2b*=3:1 であり、O2b1が多数派である。 一方、韓国ではO2b1:O2b*=1:8となり、O2b*が多数派で日本とは比率が逆になる。 東南アジアから北方に移動したO2系統の集団は、二手に分かれ、O2b1を中心とする集団が日本に移動し、 O2b*を中心とする集団は朝鮮半島に移動していったように見える。移動した経路は大陸経由なのか、島伝い 経由なのか。大陸経由だとするとなぜ中国にはこの2つのハプロタイプがほとんど残っていないのか興味は 尽きない。 日本人の9割を占める、D2(38.8%)、O2b1(25.1%)、O3(16.7%)、O2b*(8.4%)の祖先のことを考えよう。 O3系統は中国大陸や東南アジアで多数派を占め、D系統はチベット高原と日本列島に分布する。中国人の主体 となるO3系統の人々の進出で、D系統は周辺に押しやられたのだろう。 おそらく、D系統の人々は日本に一番最初から居た集団である縄文人と呼ばれた人々だと思われる。 但し、海で隔てられた日本にはO3系統もなかなか進出できず、先に日本に渡来していたD系統の人々と共存の 道を選んでいったものと考えられる。 一方、稲作の研究からは中国大陸から来た祖先たちが稲作を持ちこんだと考えられている。 但し、中国大陸から来た祖先といっても現在の中国人と同じO3系統ではなく、稲作を持ち込んだのはO2系統 の人々のようだ。 こうして持ち込まれた稲作文化は先住の人々にも広がり、農耕や新しい文化を持ち込み広げていったと考えら れる。 日本列島にはまずD系統の人々が住み、次にO3系統、最後にO2b1、O2b*といった東南アジアをルーツとする O2系統の人々が日本列島に渡来し、日本人の祖先になったと考えられる。 O2系統、O3系統の祖先の両方、もしくは、少なくとも片方は弥生人と考えられるが、遺伝子の解析からの アプローチと考古学、言語学との組み合わせで新しいことが分かってくるだろう。 (ホームへ)



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